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書評 「禅が教える人生の答え」 PHP新書 枡野俊明 著

by staff on 2013/4/10, 水曜日
 

 慌ただしくしている時にこの本を手にとった。突然背中を押されたような気がした。それは励ましというのではない。大きな目当てを持っているかと問いかけられているようだった。

 「自然の中に佇むと、私はいつも自分が生かされている存在であることを実感します。私たち人間の意志や意図に関係なく、季節は移り変わっていく。どんなに物事がうまくいかない時にも、そんなことはたいしたことではないとでもいわれているかのように、草木は生い茂り、花々が咲き誇ります。」さらには形から入るという項で次のように話されます。「朝起きたままの格好で、パジャマ姿で仕事場に行ったとしたら、はたして仕事に集中できるか。おそらくはだらだらとした無為な時間が増えるような気がします。」朝起きて朝の坐禅を組む時、おつとめをする時には、きちんとした衣に着替え、境内の掃除をする時、通常作務衣と呼ばれる服をきると話されます。

 庭園造りをする時のことです。「私が一つの石の据える場所を指示する。どうしてその位置にしたのか。それを言葉で説明するのは難しい。ですから弟子たちは、そこに据えられた意味を自分で考えなければなりません。石が一番心地よいと思う位置はどこなのか。石心と必死になって向き合う訳です。その一つの石に一瞬、太陽の陽ざしがてりつけるとしましょう。その美しい一瞬を、私は頭の中に思い描きながら据える場所を決めている。」

 著者は横浜市鶴見区にある建功寺の住職さんである。庭園デザイナーであり、多摩美術大の教授である。玉川大学農学部卒業後、大本山総持寺で修業を積まれている。私は毎週の日曜坐禅でお世話になっている。

 自分と出会う旅に出かけるのに、遅すぎることはないという項がある。

 「子どもが生き方に迷った時、親は自分自身の人生を語ることです。自分がすきだったこと。自分がやりたいと思っていたこと。それを諦めてしまった時のこと。自分が得意だったこと。絶対にやりたくないと思った仕事のこと。そんな人生経験を話してあげてください。その親の言葉の中にこそ、子どもの生きるヒントがたくさん隠されているのです。失敗した時の恥ずかしい経験や、成功した時の涙が出るほどの嬉しさ。子どもは両親の生きてきた道を知ることで、自分自身の中に確かに存在する何かを見つけるものです。」自分とは何か、自分の人生とは何か、模索の時には自分の育った故郷へ足を向けてみることです、と話される。この年になって私はあらためて思い出すことがある。育ったところにある実家のお墓参りをした時だった。小川があって、そこで泳ぐような水遊びをしていて、お袋に悲しそうな顔をされたこと、お風呂をもらいに行っての帰り道で蛍を捕まえたこと等…。

 小さな満足のかけらを積み重ねるの項では継ぎのように話されます。

 「過去・現在・未来という言葉があります。これを三世といいます。禅の世界においては、その中でなによりも現在を重視しています。もっというなら現在しか考えない。過去を振り返っても仕方がないし、来てもいない未来のことなど知る由もない。ただ、今という時間の中にこそ、人生はあるのだという考え方です。禅の言葉でいえば而今(にこん)がそれです。ニ度と帰ってこない今という時間を大切に生ききることを説いたものです。」

 今をどう生きるかを考えさせられます。「道は間違えたのならば、引き返せばいい」といいます。間違えた道をただ続けていませんか?間違えたことを知らずにいませんか?厳しい指摘ではある。一歩考えを進めてみれば、難しく考えずに引き返せばいいといわれます。「絶望を受け入れてこそ、希望の光が灯る」とも。肩の力を抜いて歩き直すことなら出来そうな気がしてきました。

(文:横須賀 健治)

 

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