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第3回 オー・マイ・モトマチ・ライフ

by staff on 2013/4/10, 水曜日

 皆様に知られている横浜の歴史はまだ浅く、154年前の開港時からは大変興味深いものが町に残っています。
 それで今回は桜と共にモトマチの歴史散策をして参りましょう 
 私が知られざるスポットへとご案内致しますので、しばしお付き合い下さいませ 

シドモア桜
シドモア桜
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元町の東の入り口、谷戸橋のたもとに「シドモア桜」と呼ばれる一本の桜の木が佇んでいます。
 
「シドモア桜ーポトマック河畔からの里帰り
1912年、東京からワシントンへ友好・親善のため桜の苗木(ソメイヨシノ) 3千本が贈られました。その桜はポトマック河畔一帯に植えられ、世界的な桜の名所になりました。桜の植樹にあたり、大きく貢献したのが紀行作家であり、『日本・人力車旅情 ( 英題 Jinrikisha Days in Japan )』の著者であるアメリカ人女性エリザ・R・シドモア(1856~1928)さんです。
シドモアさんは今、横浜の山手外国人墓地に眠っています。そのポトマック河畔の桜が、1991年に里帰りをし、シドモア桜の会によって、シドモアさんの墓碑の傍らに植えられました。そしてシドモアさんと桜のエピソードを伝えるため、その桜から接ぎ木により苗木が作られました。ここに植えられた桜は、その苗木から育った桜です」 (掲示板より)

元町一丁目から二丁目
元町一丁目から二丁目
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シドモア桜を観た後は、こちら河岸通りを歩いて前田橋(手前)まで桜並木を歩きます。
元町一丁目から二丁目にかけて、数年前から川沿いの通りも綺麗な町並みに変わってきています 

横浜緋桜
横浜緋桜
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「横浜緋桜」-金沢兼六園のケンロクエンクマガイという桜と沖縄に咲く緋桜の配合による新種の桜です。
ひと際鮮やかなピンクの桜が河沿いに色を添えていました。
河の向こうに見えるのは、中華街・朱雀門(南門)です。ここから元町へは、前田橋を渡ります。

横濱元町浅間山
横濱元町浅間山
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そして今は昔、朱雀門から前田橋を渡り元町へ入ると、突き当たりにこのような光景が広がっていました。
先方に見えるのが「百段階段」。この階段の上は「横濱元町浅間山」です。幕末までは浅間神社が祀られていました。
この階段は関東大震災で壊れて今はなく、霧笛楼の近くの駐車場辺りに位置します。

高田坂
高田坂
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百段階段がなくなったので、浅間山へ行くには代官坂の歯医者さん横の階段を上ります。
以前、映画のロケで主演の若い男女がこの坂を駆け上がるシーンの撮影に出会しました。結構きついと思います(笑)
ここを上って山手通りまで抜ける道を「高田坂」といいます。

元町百段公園
元町百段公園
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階段を上りきってすぐ、今は「元町百段公園」と名を変えた山の頂上にたどり着きます。
公園の入り口には先ほどの、昔の百段階段の写真と説明文が埋め込まれていました。
 
「この地は、横浜の開港時から大正期にかけて、浅間山の見晴し台と呼ばれ、大変眺望のよいところでした。右の写真は、当時前田橋から「元町の百段」を撮影した貴重なものです。元町二丁目から急な石段が百一段あったのですが、市民は「百段」といって親しんだものです。この場所には、元町の鎮守厳島神社からの末社の『浅間神社』が祀られ、小さな茶屋があり、外国人の観光客もよくここを訪れています。浅間神社は、もと横浜村にありましたが万延元年(1860年)に横濱の村人が元町へ立ち退いたとき、一緒に移されました。昔は、ここから港の出船入船や関内地区が手に取るように見え、遠く神奈川宿の旅篭や茶屋までが見渡せました。この公園は、関東大震災で崩れて、今はない「百段」の歴史をここにとどめるように作られたものです。」
(横浜市 緑政局・中区役所)

百段公園の眺め
百段公園の眺め
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そしてこちらが百段公園の眺めです。遠くにランドマークタワーが見えますね。
ここには一本の大きな桜の木が残っていて、きっと樹齢数百年?? 今はこの山の守り主のような気がします。
ひっそりとあまり訪れる人もいない百段公園ですが、私の好きな場所の1つです。
しかし、この公園のデザインが気になっているのです。何故円形の舞台のように造られているのか? 7本のギリシャ神殿の柱のようなものにはどういう意味があるのか 
わたしにとっては謎の百段公園なのであります。誰か教えて下さい 

山手ヤマハハ物語
山手ヤマハハ物語
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百段公園から住宅街を抜けると山手通り。そのすぐ下は、元町に下る汐汲み坂です。お隣にはフェリスホールも見えています。
右手の先は山手教会があります。
 
そんな道の入り口に、また人知れずあるのが、荻野アンナさんの書かれた『山手ヤマハハ物語』の掲示板。
それはそれはとてもロマンのある素敵な実話です 
 
「山手ヤマハハ物語 -少年は絵の中の少女に恋をした-
山手が私を生んでくれた。きっかけは1904年にさかのぼる。父方のエリザベート叔母は、フランスの田舎では珍しい女流画家だった。50歳を過ぎてフンパツし、女ひとりの世界一周旅行に乗り出した。1903年5月の末、ボルドー港を出発。マルセイユからジブチ、コロンボ、シンガポール。トンキンでの長逗留で年が明け、上海から長崎に上陸。その後が予想外の展開となる。日露戦争前夜だった。乗っていた船が軍艦として没収され、横浜で強制下船。次の船が決まるまで、知らない街に放り出された。
父方は代々キリスト教徒、困った時は教会に頼る。叔母は海辺のホテルから、山手のサンモール修道院に直行した。彼女の旅行記から直接引用させてもらう。『橋のところで市街地が終わっている様子。渡って、人通りのない道を登っていきました。寒さに負けない緑の中に、ヨーロッパ風の美しい館が並んでいます・・・』。おばちゃんは、山手の丘が『冬枯れ時になお緑豊かで、心ひかれた』。日本の冬の、緑と光の中に、懐かしい洋館。彼女にとっては夢の景色であったろう。
 ただし住人の、着物姿には珍妙なコメントを残している。女性は『彼女らの靴であるところの小板』(下駄)をはいて、『がくがく身体を揺らせて歩き、冬の間中、巨大な瘤を背負っています』。帯に羽織を、瘤とは、子孫としてお恥ずかしい。が、何せ大阪城の建立者を「トヨトニ・ヒデゴシ」と記載するオッチョコチョイである。笑って許してくださいな。
叔母は修道院でフランス人シスターたちの歓迎を受け、ホッと息をついた。旅の記念に、修道院付属学校の生徒を、絵筆に乗せた。「ムスメ」(この単語、フランス語になってます) のキモノは、青みがかった縮みに藤色の花輪模様が散る豪華なものだった。艶やかな髪には、宝石きらめく羽根飾り。
やがて少女の絵は海を渡り、叔母の館の壁を飾った。絵の中の少女に恋をした少年がいる。少年は船乗りになり、世界を回り、神戸で長い髪のムスメをナンパした。構えた新居は横浜で、サンモール修道院の崖の下。妻は女流画家になった。小説より奇なる事実のおかげで、私はこの世に生を受けた。
私の第二のパパは海で、ママは山手。そんな人生がいっぱい交錯して、この道は、今あるカタチになった。叔母の足跡を私が踏み、あなたが踏み、道の明日が開ける。」
荻野アンナ 参作家・慶応義塾大学文学部 教授

山手の素敵なお宅の猫ちゃん
山手の素敵なお宅の猫ちゃん
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そして元町へと戻る散歩道、山手の素敵なお宅の猫ちゃんは紐に繋がれながらもパフォーマンスを見せてくれます 
奥にあるのは猫ちゃん専用ヒーターかしら?? 猫までリッチ 

外国人墓地の山桜
外国人墓地の山桜
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また百段公園の前を通り過ぎ、高田坂まで戻ると外国人墓地の山桜が目の前に 
これも普段は見ない風景です 
あの桜の下に、シドモアさんも眠っておられるのですね。
横浜元町と山手の歴史はまだ150年余りだけれど、いろいろな出来事がたくさん起こっています。
またいつか、そのお話ができる日を楽しみにしていて下さい。

 

レポーター プロフィール

Yuu  Adachi  

Yuu Adachi

Gallery1223 あいお☆らいと代表
2008年より山手・汐汲み坂、みなとみらいのワールドポーターズで画廊を経営。
現在はアート全般の企画展や個展のプロデュースを手がけつつ、元町を拠点にフリーのギャラリスト(画商)として活動中。
趣味は読書と映画とfacebook。
好きな食べ物は、バゲット(フランスパン) 大好きな都市はParis。
好きなことは妄想ー「夢を見ることにお金はいらない」
典型的なB型気質&真面目な山羊座☆
 
HP http://www9.ocn.ne.jp/~aiolight/

 

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ヨコハマNOW 動画

新横浜公園ランニングパークの紹介動画

 

ランニングが大好きで、月に150kmほど走っているというヨコハマNOW編集長の辰巳隆昭が、お気に入りの新横浜公園のランニングコースを紹介します。
(動画をみる)

横浜中華街 市場通りの夕景

 

横浜中華街は碁盤の目のように大小の路地がある。その中でも代表的な市場通りをビデオスナップ。中華街の雰囲気を味わって下さい。
(動画をみる)

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