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「レッドライト」 (連載第4回)

by staff on 2011/7/10, 日曜日


写真)メソニックホールと周辺街区の復元模型 (神奈川県立歴史博物館蔵 *許可を得て撮影および掲載しています)

*今回の記事は二ヶ月連続掲載の第1回になります

 「港の見える丘公園」には、誰も知らない秘密の歴史がある。実はこの公園、日本で最初にフリーメイソンの支部(ロッジ)ができた場所なのだ。横浜とフリーメイソン?  思いがけない話に戸惑う方が多いと思う。順を追って話したい。

 読者の皆さんも、メイソンの名前は聞いたことがあると思う。「世界の影の支配者」などと興味本位に書きたてられる世界規模の会員組織である。まずお断りしておきたいのは、この原稿はフリーメイソンそのものの起源や歩み、謎めいた実体について語ることが目的ではない、ということだ。ここで明らかにしたいのは、横浜におけるメイソン史の概略だ。メイソンの「陰謀」に興味がある方はご自身でネット検索することをお願いしたい。

 さて話を戻す。「港の見える丘公園」はかつてイギリスの第20歩兵連隊(East Devonshire)の駐屯地で、英語のトウェンティーが訛った「トワンテ山」とよばれていた。この連隊には複数のメイソン会員がいたという。会員の便宜を図るためだろう、アイルランド・グランド・ロッジ傘下の「スフィンクス・ロッジNo.263」という軍事ロッジ(軍人により運営されるメイソンの集会)が設けられていた。

 なぜイギリス軍内にアイルランド系ロッジがあったのかと言えば、この20歩兵連隊が正確には英国軍ではなくアイルランド軍だったからだ。当時アイルランド王国はイギリスに併合されていたのである。20歩兵連隊は横浜に派遣されるまでは香港に駐留していたので、「スフィンクス・ロッジ」も以前は香港にあったものと考えられる。

 このロッジが初めて集会を開いた1865(元治2)年1月27日こそ、日本でメイソンが始動した歴史的な日だったとされている。つまり横浜は、日本におけるフリーメイソン発祥の地なのだ。

 とはいえ、まだこのときは小さな動きにすぎない。当時のメンバーは20人程度だった。「スフィンクス」は、居留地在住の英国人外交官や貿易商のためのロッジとしても機能し、集会は会員の自宅で行われた。彼らは本格的な拠点を望み、「スフィンクス」設立集会が行われたその年に、本国に新ロッジの設立を申請。翌1866年に認可され、日本最初の恒久施設が正式に発足した。「横浜ロッジ No.1092」である。明治維新の2年前のことだ。

 「横浜ロッジ」第1回集会(6月26日)には、スコティシュ系で西インド(カリブ)地区の前副棟梁 (ex-Vice Master Mason) カートライトが出席し、初代ロッジ長にはウィリアム・モタ、二代目ロッジ長には英国近衛連隊将校G・M・スマイスが任命された。

 明治維新の翌年にあたる1869年には国内2番目の「オテントサマ・ロッジ(Otentosama Lodge) No. 1263」が開設されたが、このロッジも横浜に存在していた。

 翌1870(明治3)年に入ると、ようやく神戸にもロッジが設立される。第二次大戦前までに国内には五つのイングランド系ロッジと三つのスコットランド系ロッジが設立されていた。そのうちの半分が、横浜におかれていたという。「東方の星(STAR IN THE EAST) No. 640」、「東洋の印章ロッジ(Orient Mark Lodge) No. 304」「横浜支部(Yokohama Chapter)」そして「オテントウサマロッジ No. 1263」だ。この四つのロッジは共同所有の形で山下町の一等地に集会所を建設した。「メソニックホール(Masonic Hall)」である。

 竣工は1869(明治2)年。 設計者は「ウィットフィールド・アンド・メイソン」と記されている。所在地は、かつての居留地170番で、これは現在の「横浜市中区日本大通5-2 アーバンネット横浜ビル」に相当する。本町通の並びにある英国車「ジャガー」の販売店があるビルがそれで、「中国銀行」が店構えしているあたりがちょうど「メソニックホール」のあった場所にあたる。

 このロッジは現存しないが、この建物があった居留地の明治20年当時の町並みが馬車道の県立歴史博物館2階に精巧なジオラマとして再現されており、ロッジとその周辺の様子が手に取るように観察できる。……あくまで推測だが、メイソン関連の資料が堂々と展示されていることに、学芸員たちも気づいていないのではないだろうか。(ページトップの「横浜居留地のジオラマ」(写真)をご参照下さい)

 メソニックホールは壮麗で、横浜市内の全ロッジの集会のみならず、1870年創立の「ロッジ兵庫&大阪 No.498」(神戸)や1872年創立の「ライジング・サン・ロッジ」(同じく神戸)など、国内のロッジを統括する為の「日本グランド・ロッジ」が置かれていた。初代グランド・マスターにチャールズ・ヘンリー・ダラスが就任したのは1873年である。

 しかしこのロッジは1923年の関東大震災で倒壊する。やむなく数ヶ月の間神戸の「コリンシャンホール(Corinthian hall)」へ機能を移転したものの、メイソンは茶色い瓦礫の山が拡がる横浜へ戻ってきた。廃墟の中で行われた震災後最初の集会のことを、W ・ B・マイケル・アプカーはこう述懐している。

 「『東方の星 No. 640』の集会がアメリカン・トレーディング・カンパニーのオフィスで開かれたのです。船便の梱包の箱が議長席の椅子として使われました。照明はろうそくです。同席した同胞たちはメイソンの真の気質を明らかにしていました……貧しくも愛や救い、誠実さに溢れていたのです」

 1927年に山手に新たなメソニック・テンプルが建設されるまでの間、被災地である横浜のメイソンたちはアメリカ南部管轄(US Southern Jurisdiction)に属する A & A.S.R. メイソンから多大な支援を受けた。米国南部管轄最高会議代表であるフレイザー(第33階級)が仮オフィスを建設し、その上階を一時的なロッジとして提供したのである。

 やがてイギリス本国より常設のロッジ再建の基金を得た横浜のメイソンたちは、山手町3番地に 「メソニック・テンプル(Masonic Temple) No.3」を建設する(写真)。この施設は1982年まで存在していたが、定礎プレートによると建設は1927年2月12日だそうである。

 じつは入口に取り付けられたプレートはもう一枚存在していた。それは太平洋戦争後のもので「1946年4月9日の労働者の復興、およびアイケルバーガー将軍と東京ベイ・メソニッククラブによる1948年9月14日のビルディング復旧への価値ある貢献への感謝を記念して」と英語で書かれていた。

 ここで戦時中のメイソンへの弾圧を説明しなければならない。
 戦前から戦時中にかけて日本国内で共産主義者や無政府主義者が厳しく取り締まられていたことは、よく知られている。じつはフリーメイソンも弾圧を受けていたのだ。これは同盟関係にあったナチス・ドイツによる反メイスン政策がそのまま受け継がれたためだと考えられる。「ゲルマン人でなければ人に非ず」のナチスや「万世一系の神の国」「形ばかりの『五族共和』」の日本では、宗教・人種を超えた平等を唱えるフリーメイソンとは相入れなかったのだろう。さらに会員が欧米人に限られていたことが、排撃を決定的なものにした。

 当時日本人が入会できなかった理由は二つある。
 ひとつは1887(明治20)年に出された保安条例 だ。これは明治新政府が板垣退助らによる自由民権運動の広がりを怖れ、阻止するために制定した法律で、秘密の集会・結社を禁じるものだった。ロッジ内での集会が保安条例に触れるのを嫌ったメイソン側は、外務大臣に就任した大隈重信に「日本人は入会させない」という条件で交渉し、保安条例の対象から除外してもらったのだという。

 もうひとつは1899(明治32)年の治外法権撤廃で、「日本人を会員にしないこと」「派手な活動を控えること」を条件に政府はメイスンの活動継続を認めた。

 しかし在留外国人限定の団体であることが仇になり、結局、この「紳士協定」は破られてしまった。

 「メソニック・テンプル No.3」は太平洋戦争が始まるまで、市内すべてのメイソン集会の会場となっていたが、1937年の日中戦争とともに弾圧が始まり、1941年12月8日の日米開戦と共に、日本政府は彼らの財産を没収した。ビルはもちろん、家具類や記章、宝石類、装具、書籍など一切合切が差し押さえられた。横浜のみならず、国内にあったすべてのロッジが活動を中止せざるを得なくなった。彼らはなにを思っただろうか。

 我々にも明らかなのは、嵐の四年間を堪え忍ぶと状況が一変した、ということである。日本を占領した連合軍総司令官がメイソン会員だったからである。ダグラス・マッカーサーは日本に民主主義精神を根付かせるため、かなり意図的な占領政策を行った。アメリカ系フリーメイソンのメンバーでもあるマッカーサーは民主主義精神と共通項の多いメイソンの活動を積極的に奨励した。その結果、日本人の加入が可能となり、昭和25(1950)年に佐藤尚武、植原悦二郎など5人の国会議員がメイソン会員となった。

 こうしてイギリス系が中心だった戦前とは異なり、戦後はアメリカ系ロッジが主流勢力となって勢力を拡げていった。2011年現在、北は北海道から南は沖縄まで、国内に20~25のロッジが存在し約2,300人のメンバーが存在する、といわれる(最盛期は在日米軍がベトナムの前線基地として機能した1970年代で4,000人を数えたが、現在は減少傾向にある)。

 アメリカ色が強くなったとはいえ、横浜には現在もスコットランド系の「東方の星」ロッジが健在である。日本におけるメイソン拡大の立役者でアメリカ系に所属するマッカーサー自身も、このロッジの名誉会員に叙されていたという。

 現在もフリーメイソン会員の大部分は欧米人や国際通の日本人である。横浜のロッジでは、いまでも集会の儀式部分は英語で行われている。

参照)

「極東ロッジ (Far East Lodge No. 1 / 横浜メソニック・テンプル)No.124」公式サイト

フリーメイソン日本グランド・ロッジ公式サイト

(次号に続く)

 

檀原照和 プロフィール

1970年、東京生まれ。埼玉県立松山高校卒業後、法政大学で元横浜市役所企画調整局長の田村明ゼミに入り、まちづくりの概念を学ぶ。その後大野一雄、笠井叡、山田せつ子などにダンスを学び舞台活動に参加。2006年、「ヴードゥー大全」の出版を機に執筆活動を始める。他の著作に「消えた横浜娼婦たち」(2009 年)

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